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愛するということ
愛するということ (JUGEMレビュー »)
鈴木 晶, Erich Fromm, エーリッヒ・フロム
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教員ドットコム 教育関連おすすめレビュー


様々な方面で活躍されているメンターの方のお話を紹介していきます。

教師 大村はま96歳の仕事
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    ■今日のメンター
    ■教師 大村はま96歳の仕事
    ■大村 はま
    ■小学館
    ■著者紹介
    1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。

    【1】 問題を出すときに、考えること

    評価は教師にとりましては、これから子どもをどんなふうに指導していったらいいか、その「指針」を得ることである。一方、子どもにとりましては、自分自身がこれからどんなふうに勉強していったらいいか、それをしっかり持つこと、自分に対する指針を持つこと、評価とはこの2つです。

    教師によっては、間違ったものを指導するときのやり方がじつに簡単で、何もしない人もありました。私は「指針を得る」という立場にたって、間違える人の心理や、またどういうふうな普段の勉強の仕方のマイナスからそういうことが起こっているのか、それを一生懸命説明しております。

    試験に出したときに、それが何を背負って、どの力を試すために出題されているのかという見方が足りないと思います。何も背負っていないのだったら、それを問題に取り上げることはばかばかしい話です。何も考えていない、何も知り得ない、そういう試し方というのはないと思うんですよね。


    【2】 子どもの心を開くお話

    よく「子どもと話す」と言いますけど、教師なり親なりが、こちらから話したいことがあって話すことは、ほとんど効果がないものなのです。教師でもそれがわかっていない人もあって、よく聞いていなさいって言えば聞いているものだと、思っている方があるようですね。まずないと思ったほうがいいです。

    大勢を相手にして話している話は、ほとんど相手の心を開くことはできない。話が上手にできるのは、相手の心をよーく受け取れる人だけなんですね。そうでないと、子どもの心には染み込みません。心を通い合わせていないという間柄では、どういうくふうをしてもうまくいかないと、私は思っています。

    そして、話題をたくさん持っていることが必要です。いろいろなお話を胸に持っている、自分が話したい話、親や教師のほうが、誰かに話してみたいと思っている、そういう話が一番いい話なんじゃないでしょうか。自分が感動した話というか、本当に話ししたいことを話します。


    【3】 言葉の貧しさを憂える

    「悪い言葉」は子どものころ使っていたとしても、大人になって大恥かいてひどい目に会って、自分で引っ込めます。敬語であってもなんであっても、子ども自身が赤恥かいて、「こりゃいかん」と、自分で勉強していくでしょう。

    今は、言葉悪いというよりも、貧弱だと思います。例えば、「運動会の準備」というとき、「運動会に備えて」とか「運動会を控えて」といろいろ使ってくださればいいのです。毎日、「準備」という言葉一つだと、言葉が貧しくなってくるでしょう。教師が豊かに言葉を使っているということが大切ですね。

    知っている言葉の数が少ないし、表現も知らない。ここが教育の責任だと思います。言葉が貧しいということです。言葉が貧しいってことは、結局人間の貧弱さではないかと思います。言葉が豊かに使えるということは、何はともあれ、豊かで、こまやかで人間らしいということではないでしょうか。


    【4】 子どもに力をつけること

    教師は、聞く、話す、読む、書くの達人でないと困ります。先生のそばへ行ってれば、なんとなく楽しかったという経験が始終ないと。自分のことを「口下手で」なんて挨拶されるような先生は大嫌いです。教師の資格はありません。本当にそう思っているんだったら辞めるなり、勉強するなりしなさい。

    学力がつかないことは、学校ではやらないようにしないと困ります。「好き」「やりたいと言いましたから」では困るのです。当たり前すぎることです。授業でしょう。そして月給を貰って教師をしてるのだから、学力をつけるのが仕事、職業なのだから。子どものためになるか、確かめなくてはいけません。

    そしてやっぱり単元(授業)を考えるときには、国が幸せになること、平和になること、少しでも豊かになることを考えていきたいものです。それを忘れては、言葉が離れていってしまう、言葉うつろになってしまうものです。



    ■選書コメント

    今週のメンターは、大村はま先生です。

    大村先生が96歳になって教育を見つめ直したときに、伝えておきたいことをまとめたのが本書です。96歳のときの講演が収録されています。

    約20分間の講演も付録のCDで聞くことができます。大村節は講演ではいよいよ盛んで、身を抓む思いでききいりました。今は亡き大村先生からのメッセージとして心にとどめておこうと思います。



    | 大村はま | 21:21 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    新編 教室をいきいきと1,2
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      ■今日のメンター
      ■新編 教室をいきいきと1,2
      ■大村 はま
      ■ちくま学芸文庫
      ■著者紹介
      1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。



      【1】 いきいきとした教室

      今、教育の問題がいろいろ起こっていますが、これを本当に解決するのは、何よりも、教室をすばらしい魅力的なものにすることだと思います。毎日毎日、子どもたちがそれぞれに自分の成長を自覚できる教室であったら、その魅力に引かれて教室に帰り、いきいきとしてくるのではないでしょうか。

      私は、少年が、物事に打ち込めないでうつろな顔をしていると、いたたまれなくなるのです。何もせず、困った子だなという気持ちで傍観していることがとてもできないのです。ただ夢中で、そのとき持っている知恵、力を尽くして、とにかく何かいきいきと学習に打ち込めるようにしました。

      ほかにもしなければならないことはたくさんありますが、専門に学ぶ場所としてできた教室、そこでの学習が最大の魅力をもつようにならなければならない。いきいきとした教室は、実に些細なことが積もって出来上がっていくもののようです。小さな心づかいや工夫で教室は変わってくるのです。


      【2】 子どもの姿を知るのが第一

      子どもを知るということ、子ども自身より深く知るということ、親をも超えて子どもを知るということ、これがまず教師として第一のことでしょう。子どもを愛すること、信頼することを第一に挙げる方もありますが、それも「知る」ということと共にあることと思います。

      子どもを知るために、アンケート風の調査の工夫があります。ある目的に役立つものではありましょうが、教師の仕事には、ほとんど役立てられないものでしょう。いっしょに遊ぶことで見せるその「人間」にももちろん限界があるでしょう。個人面接では、子どもの答えは最小限の話になってしまいます。

      子どもは、尋ねられたことへの答という形では、ほんとうのことは話せないものだと思います。教師のほうが身辺雑話でいろいろの小話をするといいのです。ふんわりとやわらかな雰囲気が漂ってきたとき、子どもがふわっと口を開きます。本音は、自分から口を開いたことば、そういう中でこそ聞けるものだと思います。


      【3】 教室をしつける

      教室には、非常に引き締まった気分を作る工夫をしないといけないと思っています。固いものでも怖いのでもないのですけれども、きりっと締まっている、そういう気分を作りたいと思いました。子どもは、固い、怖い気分はもちろんですが、たるんだ気分も意外なほど嫌いなものです。

      たとえば、プリントを配る。こういうことは締まらせる、ぴりっとさせるいいチャンスです。きりっと立ってさっさと取る。立つ練習もしました。自分のことは自分でやり、人に聞かない。うるさいおせっかいを焼かせない。「世話を焼くのは親切でもなんでもない、余計なこと無礼なことだ」と話をしていきます。

      「読書生活の記録」を綴じる作業は、手間のかかることで一時間必要になってしまいます。休みの時間にやるとはいかないのです。そうなると、この作業はただの作業になり、学力から離れたものになってしまいます。しつけを、その時することができれば、ちっともむだでないと思っています。


      【4】 思うようにならなくて当たり前

      自分の思うようにならないとか、いくら教えても成果が上がらないとか、そういうことに教師は驚かないようにしたいと思います。あれだけ教えたのにこんなだ・・・そういう失望の仕方が、教師の場合、少し大きいように思います。それで腹が立ったり悲観したりいろいろなことが起こるのです。

      教えたことは全員が必ず同時に、心から受け取ってできるようになる、それが当たり前と教師は思っているところがあります。できなくて当たり前で、驚くほうがおかしいのではないでしょうか。用意、ドン!で厳密に同じ瞬間に出発させても、みんな力いっぱい走っても、ゴールインはまちまちでしょう。

      もっと、人、人の世というもの、そういうものを本気で大きく見て、そこでは多くの努力がどんなにむなしく消え去っていくものか、報われることはいかに少ないかということを覚悟して、そんなことで自分を失わないようにならないと、人の子を育てるのことはむずかしいのではないでしょうか。


      ■選書コメント

      今週のメンターは、大村はま先生です。

      本書は、授業運営、教室運営の具体的な工夫が満載にある実践的な教育書です。子どもたちにするお話の種、教室での小道具のこと、資料や教科書の使い方から、グループ学習や、テスト、指導案まで、本当の教育者になるために教師はどうしたらいいのか。といった、大村メソッドが1,2の2冊の中で50以上掲載されています。実践派を求める方にはこちらがおすすめ。

      1冊1,000円+税で、文庫にしてはやや高いですが、内容的には教育実践所数冊分が収録されているのと同じで、とてもお得な1冊です。他にあげた理論編の本だけでなく、この実践中心の本書でも、大村節は健在です。

      教育力の底上げを担う一冊です。

      新編 教室をいきいきと〈1〉

      | 大村はま | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      教えることの復権
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        ■今日のメンター
        ■教えることの復権
        ■大村 はま/苅谷剛彦・夏子
        ■ちくま新書
        ■著者紹介
        大村 はま
        1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。

        苅谷 剛彦
        1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。

        苅谷 夏子
        1956年生まれ。東京大学国文科卒業。大村はま氏の教え子。結城紬職人、シカゴ日本人学校補習校教員などを経て、現在、「大村はま国語教室の会」事務局長。



        【1】 なぜ教えるのか

        今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。これまでの「詰め込み」への反動であろう。だが一方で教師の役割を軽視しすぎている。教師の役割がないがしろにされている。

        教師の教える力が衰退し、「教えない教師」が増え、主体的に「いきいき、のびのび」と子どもたちが学んでいるように見える教室で、子どもたちはどのような力を獲得しているのか。そこまで目が届かないまま、学びが称揚されている。

        「なぜ子どもは勉強しなければならないのか」という疑問が学校や教室の無力さを印象付ける一方で、私たち大人や教師たちは、「なぜ教えるのか」という問に正面から向き合ってきたのだろうか。


        【2】 「子どもの希望に任せる」のは危険

        子どもがやりたいと言ったことをそのまま根拠にしてはだめ。人間、やりたいことをやるのも大事なことだけど、やりたくないことでも、やるべきならするようでないと世の中困ってしまうでしょう。もちろん無視はしないけれど、私はあまり気にしなかった。

        はじめからこれをやるものだという、堂々たる教師の姿勢、それが大事。たいていは、何が長所か、自分のすばらしさなんてわからないし考えもしない。そういう人たちに向かって、教師は押しも押されもしないような平安な気持ちで、あたりまえにやるみたいな気持ちで差し出すんです。

        目標にしている能力をチェック表にして持っていたほうがいい。全員全部の項目についてチェックするのではなくて、一時間の授業をして三人四人チェックになってるくらいの感じです。熱心な先生というのはあちこちで出会うことが会うことがあるけれども、残念なことに結果のチェックが甘いことが多い。


        【3】 教えない教師

        研究授業で見た光景ですが、男の子が「書けました、これは、どこへ入れたらいいでしょう」と聞いたんです。そうしたら先生が、その子の頭をくりくりとなでて、「それはこのいい頭が考えるのよ」と言ったの。それはとてもほほえましい情景で、あとの研究会でも大変好評でね。ほめる声があがりました。

        でも、それじゃなにも教えていないでしょう。私がやるのだったら、まず文章をよく読んでみる。それから、せめて考える焦点を三つぐらい出して、それはこのいい頭が考えるのよ、とやると思う。ヒントもなにも出さないでは教育にならない。

        今、そういう先生が多いでしょう。子どもに考えさせるのがいいことは決まっています。そんなことは当たりまえです。でも、ヒントも出さないでいきなり、それはこの頭が考えるのよって言ってもねぇ。よさそうな新しい先生のようでいて、しかし何も教えてないでしょ。


        【4】 学ぶ喜びを示すこと

        先生は教えることをやめてしまった感じ。なにかをなさいという指導案だけは立派でも、一つ一つの力がついているかというのは、教師も自信がないのではいか。教える人がいない。させる人だけ。だから学ぶ喜びを知ることができないんじゃないかしらね。

        あなたの好きなことをやっていいと気軽に言って、教師はその子が何をやるべきか、何が好きか、何をやれそうか、そういうことについて考えない。やってごらん、のあとを教えないと。教えることを、「叩き込んだ」なんて非難されるとしたら、それは単に教え方が失敗だったというだけのこと。

        教えることの復権のためには、徹底してして勉強する人がいれば、高まっていくのではないでしょうか。子どもの個性がすり減るかなんて心配することはない。とりあえず明日の授業を高めるために、二つでも三つでのてびきを容易してみる。そしてそれを磨きあう場に身を置く。そういう身近な小さいことをしないとだめなんでしょうね。



        ■選書コメント

        今週のメンターは、大村はま先生です。

        本書は、大村先生とその教え子とその夫である教育社会学者の3者で「教えるということ」を考える。生徒の視点から見た大村国語教室の描写や、対談などを中心に、子どもたちの学ぶ意味を問い直す。

        齋藤ひとりさんの著書などもそうですか、メンターと読者だけの関係だけでなく、複数の視点から囲むことにより、一層メンターへの理解が深まります。より大村先生と近くなれる一冊です。

        | 大村はま | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        日本の教師に伝えたいこと
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          ■今日のメンター
          ■日本の教師に伝えたいこと
          ■大村 はま
          ■ちくま学芸文庫
          ■著者紹介
          1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。

          【1】 いきいきとした教室とは

          「いきいきとした教室」というのは、単なる明るい教室とは違います。「ハイハイ」と手をあげている、そのような程度ではないのです。ひとりひとりが、それぞれに、確実な成長感というのでしょうか、一歩一歩高まっていってる、自分が育っている、と実感がもてる教室のことなのです。そして、教師その人が、成長の実感をしている教室のことです。

          教師の仕事はこわいもので、有り合せ、持ち合わせの力でやっていても、やさしく、あたたかな気持ちで接していれば、結構いい雰囲気を作れるものです。子どもはもちろん、父母や同僚とも、いい関係を持っていけるものです。いい教師で過ごせるものです。そこが、こわいところです。

          安易に流れず、人を育てるほんとうの仕事を見つめ、畏れながら力を尽くしたいと思います。何事かを加えて教室へ向かい、何事かを加えられて教室を出たいと思っています。「いきいきと」させるものは、そういうところから生まれてくると思います。


          【2】 問答のむずかしさ

          教師はよく「ほかに」「ほかに」と言いますが、その教師自身は、ほかに何を考えているのかしらと思うことがあります。こういう場合は、教師自身に発言してもらったほうがよほどよい。私はもっと教師がほんとうに聞きたいこと、聞かないと困ること、それを子どもに聞く機会をもつことで、ほんとうの問答の力、必要性もでてくると思います。

          「ほかに」「ほかに」とやっているうちに、とにかく答えることがいいんだ、考えることよりも答えることが大事だと心得る、そんなふうにならされていくわけです。答えられたときだけ褒められて、黙ってるいるとよくない。ほんとうの気持ちが表せることばでなくとも、とにかく適当に言おうとします。

          言おうとほんとうに思ったことではないことが、いちおう人に言えるということは、とても寂しいことのような気がします。別に悪いことではないと思いますけれども、しかし、あまり親友を得たり、ほんとうに人と交わる喜びを感じたりすることが、少しむずかしくなるのではないかと思うのです。


          【3】 しからない工夫

          話し合いの途中で子どもをしかるものではないと思います。心を暗くすると、たちまち声が落ちます。発言が鈍ってしまいます。話し合いのときは、機嫌をとるわけではありませんが、そんなさもしいことはしません。どんなこともカバーして、心を暗くしないことが、指導の配慮ではないかと思います。

          人の目の前でしかられたり、「もういっぺん言いなさい」などと言われることが、どんなに恥ずかしいく辛いことか。とても奮起するエネルギーにはなりません。たいていあとでしかっても間に合うことだったりします。40人の子どもを前にしからないと困ることは、まずありません。

          間違えた場合、「こうじゃなかったの?」などと言って、直させたりしないで、「こうだと思ったんだけど、そうじゃなかったのかな?」という言い方をすれば、子どもは、自分から直すでしょう。とにかくしからないで、教師の質問という形で、うまく話を聞きだすのです。


          【4】 目標を定めて

          ちょっとおもしろそうな、しかし、子どもの新鮮な感動を呼べない思いつきの授業がかなりあるようです。おもしろいでしょう。そういうばあいに、子どもはだいたいおもしろがるものです。珍しいことは子どもは何でも好きです。未熟ですから、珍しいものがあると、「わーっ」と思うのです。

          ほんとうに子どもから出発したと言えるかどうかと思うような授業でも、とにかく少し変わっているものですと、たいそうおもしろかった、よかったという感想をもつものです。そういうとき、教師もいっしょに、たいへんいい仕事をしたと思いすぎないようにしたいと思います。

          ほんとうに喜んでいいものと、それほどでもないものと、自分のやっていることの効果を、自分で見つめて自分で評価して、判断をしっかりもつことです。はっきりした目標をもって向かう、それがなければ、より優れた力を作ることはできないと思います。


          【5】 教師の工夫

          基礎学力というのは、現場の私たちがこんなふうにさせたい、それはどうしたらできるだろうか、と考える小さな工夫によって養われるようです。要求をそのまま口で言うのが一番だめです。こうしなさいとは言わない、言わないけれども、そうさせなくてはいけません。

          基礎というのは、そういうふうに、このことはどうすればできるか、それができるためにはどうすればいいか、自分でだんだん問い直していくのです。そうすると、こうすいうことをやっておけば、これができるようになると分かってきます。

          どこまでもこのことができるためには、と問い直していくのです。このように考えていくと、現場の教師らしい知恵が出てきて、そういう時に、新しい工夫が生まれてくるのではないかと私は思います。



          ■選書コメント

          今週のメンターは、大村はま先生です。

          本書は、「新編 教えるということ」の話をより具体的に読んでいくことができます。読書や、漢字学習の具体的な方法、話し合いなど、実際に教室で行ってきた工夫をもとに話が展開されていきます。

          見た目の楽しさや、無責任な優しさではなく、ひとりひとりを成長させること。そのために教師がしなくてはならないことは何かということを気付かせてくれます。

          授業観や、学級運営観を深める一冊です。


          | 大村はま | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          新編 教えるということ
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            ■今日のメンター
            ■新編教えるということ
            ■大村 はま
            ■ちくま学芸文庫
            ■著者紹介
            1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。



            【1】 批判家である前に

            たとえ事前指導をしたとしても、「書け」と言って書けない子がいることは、教師の失敗ではないでしょうか。子どもは、途中で教えなければ書けません。それなのに、書く時には黙って書かせてしまって、それから「これは下手だ、これは上手だ」と言う。指導者ではなく、批判家です。

            私たちは、批判家の前に指導者なのです。下手な文章が出ないようにするのが指導者だったはずです。手伝った作品は、その子の作品ではないというかもしれません。でも、作品としてどこかへ発表するのではないのです。ひとりで書けるようになるための指導法の1つなのです。

            私たちは教師という専門職についているのです。それは、なんにも書けなかった子どもを書けるようにする職業なのです。教師がついていながら、「書け」と言われても書けない子がいたとしましたら、それでいったい、なんの面目あっての教師でしょうか。そんな職業はどこにあるのかと思います。


            【2】 無責任な教師

            一生懸命にやりましたけれども、というのは、非常に甘えたことばです。一生懸命やるのは、人間一人前ならあたりまえのことで、怠けてやられてはたまったものではない。ところが、教師だけはよくまあ言うと思います。「一生懸命指導しましたけれど、お宅のお子さん、どうもうまくおできになりません」

            うまくいかない責任は自分でとるべきであって、相手が勉強しないなどと、そんなこと言えるものではありません。相手の責任にできる職業なんてないのです。

            もちろん会社の仕事と人間を育てる仕事とは多少違うでしょう。でも、「違う」と見てくれるのは世間であって、教師自身が自分から言うことなどは私は戒めたいと思います。


            【3】 専門職としての実力

            私たちは生徒に何も求めるべきでないと思います。一生懸命教えてやれば子どもはできるようになるなんて思ったら、よほど甘いと思います。そんなにうまくはできていません。世の中の仕事が、一生懸命やれば何でも上手くいくなんて、そんなこと、みなさんはお考えにならないでしょう。

            子どもがかわいいのであれば、子どもをとにかく少しでもよくしていける、教師という職業人としての技術、専門職としての実力をもつこと、子どもをほんとうにかわいがる、幸せにする方法は、そのほかにはないと思います。遊んでやるのも、頭をなでてやるのもよい、しかしそれらは二次的なことです。

            専門家としての実力とは、自分の研究の成果、すぐれた指導の実力によって、子どもをほんとうにみがきあげることです。つまり、しっかり教えられなければ、頭をなでても、いっしょに遊んでやっても、それはたいした値うちをもたないのだと思います。


            【4】 職業人としての技術

            文章を書く力をつけたいと考えます。「日記を毎日つけてごらん」「もっと一生懸命周囲を見て」そういう指示、それは素人でもいえることです。子どもに指示する、命令する、そういったようなことは、あまり先生の言うことばとして価値あることばではないのではないか。

            命令すればやると思ったりするところが、甘さで、命令がでても、その通りにやる人やれる人が何人教室にいるでしょうか。やらないのはその生徒が悪いのだと言ってしまっては、本職を放棄したことになります。言ってもやらない人をやらせることが、こちらの技術なのですから。

            書く練習では、まず書き表したいことを心にもたせることです。書くことが胸からあふれそうな状態を子どもにつくる。そういう気持ちにさせるのは、専門職の教師でないとなかなかできません。このように、教育の専門家として、このことをしていると言える、確かなものをもつ教師になりたいと思います。




            ■選書コメント

            今週のメンターは、大村はま先生です。

            本書は、4つの講演記録が収録された1冊で、大村先生の代表作の1冊です。プロ教師としてあるべき姿、教育に取り組む姿勢について、きびしくかつ温かく語りかけてきます。

            講演録には「教えるということ」のほかに、「教師の仕事」、「教室に魅力を」、「若いときにしておいてよかったと思うこと」があり、特に若い先生向けに編集されています。

            試験を終え、一段落した今、この本で一度エネルギーチャージをされてみてはいかがでしょうか。


            新編 教えるということ


            | 大村はま | 21:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |