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愛するということ
愛するということ (JUGEMレビュー »)
鈴木 晶, Erich Fromm, エーリッヒ・フロム
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教員ドットコム 教育関連おすすめレビュー


様々な方面で活躍されているメンターの方のお話を紹介していきます。

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教えることの復権
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    ■今日のメンター
    ■教えることの復権
    ■大村 はま/苅谷剛彦・夏子
    ■ちくま新書
    ■著者紹介
    大村 はま
    1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。2005年没。

    苅谷 剛彦
    1955年東京生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。

    苅谷 夏子
    1956年生まれ。東京大学国文科卒業。大村はま氏の教え子。結城紬職人、シカゴ日本人学校補習校教員などを経て、現在、「大村はま国語教室の会」事務局長。



    【1】 なぜ教えるのか

    今、日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置きはじめたように見える。これまでの「詰め込み」への反動であろう。だが一方で教師の役割を軽視しすぎている。教師の役割がないがしろにされている。

    教師の教える力が衰退し、「教えない教師」が増え、主体的に「いきいき、のびのび」と子どもたちが学んでいるように見える教室で、子どもたちはどのような力を獲得しているのか。そこまで目が届かないまま、学びが称揚されている。

    「なぜ子どもは勉強しなければならないのか」という疑問が学校や教室の無力さを印象付ける一方で、私たち大人や教師たちは、「なぜ教えるのか」という問に正面から向き合ってきたのだろうか。


    【2】 「子どもの希望に任せる」のは危険

    子どもがやりたいと言ったことをそのまま根拠にしてはだめ。人間、やりたいことをやるのも大事なことだけど、やりたくないことでも、やるべきならするようでないと世の中困ってしまうでしょう。もちろん無視はしないけれど、私はあまり気にしなかった。

    はじめからこれをやるものだという、堂々たる教師の姿勢、それが大事。たいていは、何が長所か、自分のすばらしさなんてわからないし考えもしない。そういう人たちに向かって、教師は押しも押されもしないような平安な気持ちで、あたりまえにやるみたいな気持ちで差し出すんです。

    目標にしている能力をチェック表にして持っていたほうがいい。全員全部の項目についてチェックするのではなくて、一時間の授業をして三人四人チェックになってるくらいの感じです。熱心な先生というのはあちこちで出会うことが会うことがあるけれども、残念なことに結果のチェックが甘いことが多い。


    【3】 教えない教師

    研究授業で見た光景ですが、男の子が「書けました、これは、どこへ入れたらいいでしょう」と聞いたんです。そうしたら先生が、その子の頭をくりくりとなでて、「それはこのいい頭が考えるのよ」と言ったの。それはとてもほほえましい情景で、あとの研究会でも大変好評でね。ほめる声があがりました。

    でも、それじゃなにも教えていないでしょう。私がやるのだったら、まず文章をよく読んでみる。それから、せめて考える焦点を三つぐらい出して、それはこのいい頭が考えるのよ、とやると思う。ヒントもなにも出さないでは教育にならない。

    今、そういう先生が多いでしょう。子どもに考えさせるのがいいことは決まっています。そんなことは当たりまえです。でも、ヒントも出さないでいきなり、それはこの頭が考えるのよって言ってもねぇ。よさそうな新しい先生のようでいて、しかし何も教えてないでしょ。


    【4】 学ぶ喜びを示すこと

    先生は教えることをやめてしまった感じ。なにかをなさいという指導案だけは立派でも、一つ一つの力がついているかというのは、教師も自信がないのではいか。教える人がいない。させる人だけ。だから学ぶ喜びを知ることができないんじゃないかしらね。

    あなたの好きなことをやっていいと気軽に言って、教師はその子が何をやるべきか、何が好きか、何をやれそうか、そういうことについて考えない。やってごらん、のあとを教えないと。教えることを、「叩き込んだ」なんて非難されるとしたら、それは単に教え方が失敗だったというだけのこと。

    教えることの復権のためには、徹底してして勉強する人がいれば、高まっていくのではないでしょうか。子どもの個性がすり減るかなんて心配することはない。とりあえず明日の授業を高めるために、二つでも三つでのてびきを容易してみる。そしてそれを磨きあう場に身を置く。そういう身近な小さいことをしないとだめなんでしょうね。



    ■選書コメント

    今週のメンターは、大村はま先生です。

    本書は、大村先生とその教え子とその夫である教育社会学者の3者で「教えるということ」を考える。生徒の視点から見た大村国語教室の描写や、対談などを中心に、子どもたちの学ぶ意味を問い直す。

    齋藤ひとりさんの著書などもそうですか、メンターと読者だけの関係だけでなく、複数の視点から囲むことにより、一層メンターへの理解が深まります。より大村先生と近くなれる一冊です。

    | 大村はま | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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